シンギュラリティ【技術的特異点】について考える
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もうすぐ人工知能が人間の知能を上回る予定ですとか、そもそも世界はコンピューターシミュレーションでしかないという【シュミレーション仮説】ですとか、進化するコンピューターの危険性を指摘する声が大きくなっていますが、記憶力に限って言えば人は随分と前からコンピューターに負けているのでありまして、記憶力以外にもシュミレーションを繰り返すことだったり、計算する能力だったり、まぁ計算する能力なんてのは、答え一発カシオミニが出た時点でソロバンを助っ人にしない限り、大部分の人は負けていたわけですよ。
ですから今更、シンギュラリティ【技術的特異点】とか言われてもですね、目の前のパソコンと物理的な体力勝負以外に勝負して勝てるところがあるとは思えないのです。
また体力的な部分と言いますか、走るとか移動するとか移動させるなんてものも、人が勝てる分野なんて今になったら一つも残っていないのですから、果たしてシンギュラリティ【技術的特異点】というのは、何を観測点にしているのかとぃった疑問もありますし、人の知性がコンピューターAIに負けたと言っても既に負けている人も大勢いそうですし、何が危険なのかもよくわからないのです。
もしAiが人に敵意を持ったら?
そりゃもう人が道具を使うようになってから、機械の故障で事故とか時には大惨事なんてものが起きていたわけで、コンピューターであってもAIであってもそりゃ道具ですから、壊れたり時には変な動きをするってのは当然の話しなのです。
日本人とモノの関係について
古来より日本では全てのモノ(道具)には霊が宿るという考え方がございまして、それは迷信でも想像の産物でもなく、実際にそうなのだろうと私は思っています。
ですから別にシンギュラリティ【技術的特異点】が本当に現実になって、人の知性をAiが上回るなんて事になりましても、別に日本じゃ古い道具には魂が宿るどころか、神様が宿るのですから別に何も慌てることは無いのです。
まぁAIが進化して人の知性を上回るとか言って騒ぎ立てても、進化が止まる訳ではありませんしあまり意味が無いと思いますから静観していれば良いのでは無いでしょうか?