日本では商売繁盛の神様として恵比寿様が有名ですし、近代的な設備が整った工場に神棚があるのは普通ですし、あの先進企業も屋上に社があって社員が参拝している事で有名ですよね?

それに世間一般に成功者と目されている人の大部分がスピリチュアルな方面に片足を突っ込んでいるようですし、日本には創業千年を越える企業が世界で一番沢山現存しているというのは、商売の影に商売の神様の存在があるからと考えても良いのかもしれませんね?

商売繁盛の神様、恵比寿様

先に苦しい時の神頼みの意味について書いておきますと、本当に苦しい時に頼れるのは人知の及ばない神様しかいないという事で、そこにネガティブな意味合いは実は全く無いのです。

出来る事は全てやってみるの考え方

ゴルフのタイガーウッズ選手は仏教徒で大切な試合の前には必ずお参りに行く事が知られていますが、とても大きな意味を感じます。

それは普段からこれ以上は無いほど真面目に練習に励んで完璧なスイングを身に付けていても、もしかしたら試合に勝つためにプラスになるかもしれないからお参りに出かけるという事です。

タイガーウッズほどの名選手が出来うる練習を徹底的にやって、更にご利益が有るかないか分からないお参りを、もしかしたらあるかもしれないからやっておくというのは勝負に勝つ為に出来る事を徹底してやっておくという気持ちの表れではないでしょうか?

ですから最先端の企業であっても神仏とは無縁ではなく神棚を社内の一番良い場所に置いたり、仕事始めには氏神様にお参りに行ったりしているわけで、ご利益が絶対に無いと証明されていない限り、商売繁盛を繋がることを信じて行動する事は正しいことだと思いませんか?

オフィスにある神棚

経営が苦しいとき

営業に出かけるとか人脈を活用するとか、製品開発に着手するとかやれることを一切行わないで神頼みだけに頼るようでは倒産するのを待っているだけの事ですが、逆に製造から営業活動までやるべき事を全て行ったうえで、なおかつ神頼みをするというのは全く意味が違っていて正しい行動ではないでしょうか?

スポーツの試合などで外国人(キリスト教圏)の選手が大一番を前にして十時を切る動作をルーチンワークのように行う仕草を見たことがあると思いますが、あの行動は神頼みそのものですよね?

ではその十字を切る仕草を見てネガティブに感じる人が居るでしょうか?

たぶん見てる誰もがポジティブな行動で勝負にかける意気込みを感じるのではないでしょうか?

そんなわけで正しい苦しい時の神頼みの実行は良いことだと思うのです。

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